流山児祥オフィシャルブログ『祥 MUST GO ON!』

公演情報
楽塾創立20周年記念公演
『すももももももモモのうち』


【作】佃典彦
【演出】流山児祥
【出演】
〈楽塾〉
いそちゆき 河内千春 川本かず子 桐原三枝 阪口美由紀 佐野眞一 関口有子 高野あっこ 辻洋子 内藤美津枝 二階堂まり 西川みち子 平山郁子 みかわななえ 村田泉 めぐろあや
〈流山児★事務所〉
流山児祥 柏倉太郎 山下直哉 森諒介 星美咲 橋口佳奈 竹本優希

【日程】
2017年5月3日(水・祝)〜6日(土)

【会場】座・高円寺2(東京都)

【チケット】
指定席(一般) 3,500円ほか
3月3日(金)より発売

【お問合わせ】
流山児★事務所
TEL:03-5272-1785(平日13時〜17時)
E-MAIL:mail@ryuzanji.com


だいこん・珍奇なゴドー
だいこん・珍奇なゴドー



【作】戌井昭人
【演出】流山児祥
【音楽】栗木健
【振付】北村真実
【出演】
塩野谷正幸、佃典彦、伊藤弘子、月船さらら、山崎薫、栗原茂、谷宗和、大久保鷹、土井通肇
佐藤華子、里美和彦、冨澤力、柏倉太郎、平野直美、星美咲、橋口佳奈
演奏/栗木健、諏訪創

【日程】
2017年3月15日(水)〜22日(水)

【会場】ザ・スズナリ(東京都)

【チケット】
指定席(一般) 4,000円

公演詳細はこちら
流山児★事務所
2017年度新人募集
《二次募集》
劇団で活動することに興味がある人を募集します。

【募集人員】
6名 (俳優・スタッフ・制作)
18歳以上35歳未満。
国籍不問。心身ともに健康な男女

【第一次審査:書類選考】
以下を流山児★事務所まで郵送してください。
(1)履歴書(連絡のつく電話番号とメールアドレスを記載のこと)
(2)写真1点(バストアップ)
(3)作文「流山児★事務所に入団してやりたいこと」(400字程度)
応募〆切:2017年4月5日(水)必着

【第二次審査:実技・面接】
書類選考通過者のみ、連絡いたします。
審査日:2017年4月8日(土)午前
※実技審査料3,000円は当日持参のこと。
※スタッフ・制作は面接のみ(無料)です。

【入団後の活動】
流山児★事務所の活動に準じていただきます。
優秀な新人は劇団公演、海外公演などに参加できます。

【入団後の費用】
(1)入団金:50,000円
(2)研修費+稽古場維持費:月額10,000円(月納)
※入団1年後には稽古場維持費:月額5,000円のみとなります。

【お問合せ・応募先】
流山児★事務所 新人募集係
〒162-0045 東京都新宿区馬場下町60番地 まんしょん早稲田307
TEL:03-5272-1785(平日13時〜17時)
E-MAIL:mail@ryuzanji.com
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[劇場法]の話。先日日本演出者協会の理事会で語られた「劇場法」を巡ってのミーティングで感じた極私的妄想メモ。妄想記としてお読みください。
・・・・・・・・・・・・・・

演劇で世の中変えられるか、若者の未来をドー考えるか?でもって、温度というかニンゲンの面白さをどーとらえるのか!?

 いまや「●×」とでも呼ぶべき権力がこの国の演劇界を、企業や教育界を巻き込んで「新しい公共」=《表現(教育:コミュニケーション)」という平和的無血カクメイ》で席巻し、文化芸術立国という戦略であっという間に「国取り」してしまった。「△△さんの仇は討つ、新国立劇場は潰す!」と豪語していたのにいったい、アレってどーなったんだ?

 《演劇》という「枠」を軽やかに超えて「●×」が提出した《表現》というカクメイは「新しい公共」という最もこの時代にふさわしい普遍的で正統なる戦略である。それでいて全て[効率]で語られるからわかりやすい。正論であり実に「わかりやすい」から、誰もがグーのねも出ないし、私のようなひねくれモノのビンボー人のゴミタメは結局「劇場法」なんかどーでもいいや!となってしまう。が、それじゃダメなのである。

 《表現(教育:コミュニケーション)という平和的無血カクメイ》ではなく、《21世紀の歌舞伎モノの生き様》として《劇場》をドーとらえるのか?百人の支配されない《21世紀の歌舞伎モノ》の《劇場》を探しに日本中でわたしは「野たれ死にへの幻視行」を続けようと想っている。

 劇場を捨てよ!!と、ついアジテートしたくなる昨今である。《劇場》とはヒトとヒトを結ぶつける《場》であって、そこが《劇場》である。いや「ある」ではなく「そこが《劇場》となる」。これが劇場の基本、管理される場所ではなくヒトが自由に《出会う》場所、自由の砦そこが《劇場》である。

 かくして、天下りがなくなって?「演劇天上がり(「痴」的エリート)」が地域にじゃぶじゃぶ送り出される時代がやって来た。芝居やニンゲンのことなんか何にもわからないアートマネージャーって「●×」のロボットが。それも、ぜーんぶ「人材育成」という名のロボット養成が国家の助成金付きと来ている、いやはや「国家と大学と企業」三位一体となった観光・芸術=劇場立国。ひょとしたらこれが【劇場法】の内実?と思える進行状況である。

 それでいて、まだ「草案」さえ提出されていない。早く出して討論しようぜ!着々とアートマネージャーや芸術監督や地域プロデューサーや教育コミュニケション養成プログラムといったものを「国の助成金」で「自分たちで勝手に進めて育成事業をやっている現状!これじゃ、国民の目にさらされ、討論の機会さえない、法律であり環境基盤整備である。

 合意形成にはもっと時間をかけるべきだという事をとにかく自覚して欲しい。推進する「●×」側や具体的な推進母体であった「芸団協」も現在の演劇界のこの微妙を通り過ぎた違和感=温度差を埋める努力をもっとすべきなのである。そして、今まで日本の舞台芸術を育て上げて来たスズナリや紀伊国屋劇場、タイ二ィ・アリスといった多くの民間劇場にとって絶対脅威になってはならない。いま、大阪の精華小劇場の危機が伝えられる。ホントーはこっちのほうが問題なのだ!!大阪こそ何とかしてくれよ、である。

 そして、イマまで日本の現代演劇は民間の劇団(新劇・アングラ・小劇場)・芸術団体(鑑賞会を含む)が育て、多くの人々の生活・文化基盤を支え、その活動を維持・続行してきた民間演劇人が中心に担ってきている。それを全て「劇場に!」はオカシイじゃん!といまこそ、日本中の民間劇団は言うべき時なのである。なぜか、なにかを恐れて口をつぐんでいたら、この怒涛の「全てを劇場へ!カクメイ」はテッテ的に進行(侵攻)する。

 これはある意味、民間圧迫である。「文化芸術活動を行う者の自主性を尊重する」(芸術文化振興基本法)ということは民間の芸能・芸術団体の集団活動が軸に据えられている現在の状態は基本的状態なのである。本来、演劇という「固有の意義と価値を有する」(芸術文化振興基本法)モノは世の中の「すきま」にあるモノ、誰でもいられるニンゲンのぬくもりを持った「原っぱ」(金杉忠男)にこそ生まれ・育てられるものなのだ。そこには区別も差別もない。そこを私たちは劇場と呼ぶ。

 芸団協のいう「公共施設の管理者が舞台芸術に対して旧態依然とした理解しか持ちえないため起きてきた多くのトラブルが是正され、劇場で働く者の安全と権利が保障されるための」劇場法は勿論大賛成である。問題は「劇場法」に絡めて起こっているその後の芸術文化に対する支援制度のあり方に対する予想を超えた「合意形成なき」侵攻=●×無血革命のことなのだ。


 といっても、イマ起こっている現象は、これこそが見事なる《表現》という名の無血革命である。すでに回りは「●×ロボット」の群れ、でもって、次はロボット演劇と来た!!もう、なにをか況や!スゲエ!天晴れ!天晴れ!の世界演劇カクメイ児!それゆけ、やれゆけ、ドンと往け!である。

 ケータイさえ持たないわたしなんぞ「つぶやく」暇もなにもない。

 かくして私は「●×」を何故か、ほめたりけなしたり、矛盾しているね。昔から私は●×を偉大なる工作者として認めていたし、私と「ちょっと違った」意味でのウンドー家として尊敬もして来たし今も尊敬している。が、この「ちょっとした違い」が、この矛盾が、いくらアタマで判っても「●×カクメイ」の口当たりのよさがイマイチ生理的な違和感なのだろう。

 昔、私たちが「夢想」した演劇の未来が「現実」になる、がその「夢想」したものとは明らかに違っている。が、「現実」に沿うカタチは「劇場」でしかないのか?「劇場」(ハコ)でいいのか?という違和感、やっぱり演劇人(ヒト)だろ「劇団」=集団だろ!どーしょーもなく「カネが仇の娑婆世界(鶴屋南北)」にル・サンチマン(怨念)を持つ無名のモノタチの「集まり」それが「劇団」じゃないか!という想いである。

「カネが仇の娑婆世界」の現世の亡者どもが現世の観光・芸術=劇場立国でカネまみれの地獄で踊っている末世の風景である。ニッポンって見事なまでの格差社会主義国?いま、演劇はカネになる。新たなる公務員それが演劇人てか?多くの演劇人が大学教授になっている時代、教え子の就職先、雇用先を考えるのはアタリマエって単純な話??嘘だろう?etc.すべてがカネで費用対効果、効率で語られる時代!そして、結局持っているヤツラ(「痴」的エリート)がドンドン肥え太っていく。

 芸術家のセーフティネットの「効率」的な社会環境整備政策はベーシック・イン・カム=基礎所得保障制度の導入だという考え方も一部にある。この際、演劇人の生活基本法にすえるってのはどーだろうか、生涯年収400万以下の私としてはこれで死ぬまで世のため人のために芝居やっていけるんだけど。

 ニンゲンどうせカラダひとつで生まれてきたのだ、カラダひとつで集団(芝居)をつくってカラダひとつでアッチへ逝くだけである。所詮、アングラはそいつの生き方=生き様である。47歳でアッチへ逝った寺山さんだったらこの状況をなんていうだろう?、

 劇場は人々の遊び場であって、管理され、教育される場では決してない。まして痴的エリート=天上がり権力の出先機関であってはならない。舞台芸術家が安定して、継続して、集団で創作ができる場所がなんで、「劇場でなければならない」の?おかしいじゃん?とにかく、何度でも会って喋るしかない。違いは違い、一緒にできる事は一緒にやる。

シンプルに全てを「劇場」に!ではなく、全てを「劇場」と「劇団」に!だ。

だって、演劇ってひとりじゃなにも出来ないジャン、これだけ個と孤にバラバラにされている時代に、何人も集まって、あーでもない、こーでもないと言い合って喧嘩しながら創り上げる《芝居》ていうホント時間がかかり汗もかくローテクの「非効率な集団による事業」が町のすきまに、まるで病院のように存在しないと息苦しいたらありゃしねえ、じゃん。


私は「日本演劇センター(仮称)」の早期の実現に向けて地域行脚=寺・神社・コミュニティカフェETC.廻りを開始しようと思っている。とにかく、シコシコとヒトとヒトとを《繋げる》だけである。

・・・・・・・・・

 「文化芸術は、「それ自体が固有の意義と価値を有する」ことをまず認めている。経済的な豊かさの中にありながら、文化芸術がその役割を果たすことができるような基盤の整備及び環境の形成は十分な状態にあるとはいえない現状は、明らかである。21世紀を迎えた今、これまで培われてきた伝統的な文化芸術を継承し、発展させるとともに、独創性のある新たな文化芸術の創造を促進することは、我々に課された緊要な課題となっている」

 「我が国の文化芸術の振興を図るためには、文化芸術活動を行う者の自主性を尊重することを旨としつつ、文化芸術を国民の身近なものとし、それを尊重し大切にするよう包括的に施策を推進していくことが不可欠である。」     (芸術文化振興基本法)

11日間12ステージを終えて『血は立ったまま眠っている』という戯曲のもつ力を確信した。

※※

人間だけがもつ想像力の豊かさを、その翼だけが「世界」を超えられることを教えてくれる。この25年日本のコンテンポラリ・ードラマ(現代演劇)の疲弊が、演劇的知性の崩壊のさまが『血は・・』の舞台を見れば判る。
いかに60年代演劇が「世界」=社会とつながっていたかの証左を見て取ることが出来る。演劇によって世界の再現が可能だったのである。

いま、日本演劇が再生するためには60年代・70年代の現代アングラと呼ばれるテキスト群を「現在の視点」で読み直し上演する試みがもっとも有効であることを今回確信した。

※※

『少女仮面』で唐十郎さんが『鼠小僧次郎吉』で佐藤信さんが岸田戯曲賞を受賞してから40年以上の歳月が流れた。

戯曲も演劇も運動性・社会性・実験性を喪失し演劇が文字通りの「商品」として垂れ流され「流通」している40年。昨今の売れっ子劇作家?と称するフリーター連中の次々と「商品化」される状況はまさに半径1メートルの己の日常を描く「コンビニ演劇」でしかない。

「すべてが狂っている」という確か鈴木清順監督の映画があったがキチンと正統に権威というヤツとは喧嘩しなきゃ「男」じゃねえだろう!とおれっち言いたいもんである。何でドイツもコイツもなんの躊躇もなく権力という名の商品=カネにころぶんだろうか?ビンボーってそんなに大変かよ。たのしいじゃん。

たぶん「何かが狂っている」のである。

ホームを「レス」にする自由をおれたちはキチンともっている!だから芝居はとこしえに「自由」というものをもてるのだ・・・。

※※

1960年寺山修司と浅利慶太という「無名」の男2人が日本という「社会」に既成の演劇界に向けて放った憎悪と罵倒の言語のテロリズムは48年の歳月を経ても決して古びていない。いま、そんな根性を持った「若いヤツラ」っているか?ヘラヘラ権威におもねることだらけの羊のような若き演劇人の群れ。


今年は2月寺山に続いて4月三島、5月北村想、8月唐、10月再びの寺山と「大きな物語」との格闘が続く。コッチの根性が問われる。

※※

とにかく、ペラペラの「表層だらけ」の日本演劇の、それでも必死に「テレビタレントたち」と共に「演劇を商品化」することで生き延び続けているこの演劇白痴状況=商業化からとおくはなれて「アジアからの舞台芸術家たちの逆襲」を組織化するしかない。もう少しだ!「やる気と「世界」を変えたい」ヤツらはアジアにいっぱいいる!

ちょっとした勇気、それさえあればいい。

●●

以上酩酊舟ノート。

今日は朝から強行スケジュール。

なんと、朝11時から1時間馬場のカラオケ「歌広場」でえんかの稽古。
クールファイブ「この愛に生きて」「あわずに愛して」井上陽水「傘が無い」「氷の世界」吉幾三「酒よ」「雪国」と続けてみる。歌ってみるとやっぱり吉幾三ということに、私としては陽水でいきたかったのだが・・・・。

で、早稲田まで散歩。100円ショップによって買い物。で、何故か学生会館なんてトコロまでいったりして、なんか俺って早稲田の学生かよ・・・・。

●●
『オールド・バンチ』いい感じで進む。で、ほとんどラストシーンまで当たる。あした、とりあえず「ラスト」まであたることに決める。。

で、来週じっくり初めからやり直そう。

●●


李くんと創と一緒に池袋のシアター・グリーンガジラ公演『わが闘争』(鐘下辰男:作・演出)に。早稲田の定食屋で飯を食い、都電荒川線にのって池袋まで。

7時から2時間、例によっての鐘下ワールド。バック・ボーンにある網野史観による「無縁・公界・楽」的劇世界。「津山事件」とチラシには書いてあったが別に・・・・・である。

相変らずクラーイ。それでも、2時間飽きずに見る。勝也さんも恵篤も頑張っていた。バケツの水がいい!

で「アフタートーク」。

楽しんでしゃべったつもりである。近いうちに、又一緒にやろうぜ鐘下!!


何年ぶりかの池袋「清瀧」。恵篤や勝也さん、鐘下君らガジラのメンバー、で、なぜか蒲と呑む。


終電近くに帰宅。
かくして今宵も酩酊舟である。

1日中今日はいろいろあったなあ?である。

ナヌ?ドラゴンズ連敗。日ハム優勝だと!

やっぱりオレ一生、ドラゴンズ日本一の夢は見れないのかなあ?

朝から1962年の歌謡曲を聴いている。

ザ・ピーナツのベスト。ザ・ピーナツの「ザ・ヒット・パレード」なんてCDを聞いていると自分が中学生にもどっている事に気付く・・・音楽の力のすごさである。

Bヴァージョンの客入れ音楽を決めるためである。西田佐知子の「アカシアの雨にうたれて」なんて名曲は俺たちの時代には60年安保の敗北のエレジーであった。ついでに福田善之の傑作戯曲『オッペケぺ』なる本まで読み出してしまった。

明治20年代の壮士劇をはじめた川上音二郎らをモデルにした芝居である。自由民権運動が弾圧され、かっての壮士たちは官憲にこびて出世するか無頼漢になるかの挫折の時代。  寺山修司とは違った角度で60年安保状況の「政治と文学」を描いた戦後演劇の傑作のひとつである。

1963年劇団新人会公演で『オッペケぺ』は初演されている。

「せりふの時代」の今月号で斉藤憐さんは「新劇の公式に、反旗を翻した最初の戯曲」とこの作品を語っている。今度じっくり読み返そうと思っている。

今の時代こそ、コノような戯曲は読まれるべき、そして上演されるべきだと私は考えている。佐藤信の『鼠小僧次郎吉』のように、唐十郎の『由比小雪』のようにだ。時代に対して熱く語るべきものが確実にあった時代、今だって「アル」。

●●

谷川俊太郎の詩集を片手に地下鉄に。お昼過ぎにベニサン入り。

ピーナツの「DON`T FORGET DOMANI」をスタンバイにすると島さんに・・・・、で、「岸を倒せ!」のデモノイズない?と聞いてみる。アベさんの敬愛する祖父と日本中の人々が闘っていた60年安保の状況を寺山修司は『血は立ったまま眠っている』と『狂人教育』で見事に描いている。

 

そんな62年状況とオーバーラップさせ《原テキスト》世界を「正統」に作り上げるべく本番までしつこくやろうと思っている。まだ、4日ある。

5時過ぎから9時まで北村真実さんと動き・ダンスの「場当たり」。

3チームあるから時間がいくらあっても足りない。なんとか半分。音合わせにも時間がかかりそうである。でもあせっても仕方が無い。じっくり、あせらずカクジツニダ!

クリエイティブなイメージなんてクソくらえである、原初的な動物的エネルギー渦巻く「オスとメスの世界」「支配と被支配」の反逆のメロディーこそ謳わねばならない。「岸を倒せ!」だもん。笑うしかないコノ世界に反吐はくアモルフな「眼と精神」・・・・なんのこっちゃの今宵も酩酊船ノートと相成る。

「水天宮」近くにコノ明治座のポスターがいっぱいはってある。「黒革の手帖」ねえ・・・・・。

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明日は朝9時から準備。

10時から「場当たり」開始である。1日中かかるだろうな・・・・・・。

全ては集中力である。

ジョン・コルトレーンを最近ずっと聞いていたら、なんでも、今年はコルトレーンの生誕80年との事。1968年・ジャズ・ニッポン・かくめい・ってかんじ。

「至上の愛」を今、聞くと昔と違ってじつにピュアなサウンドに聞こえるのは何故だろう。年取ったせいかな?でもって、マイルス・デイビスも生誕80年だとよ!

ジャズを聴くと「物語」を思う。至上の・・・・愛・・・だぜ!?

岡田君の小説の続きを、根性入れて読んでいると、いま「物語」を語ることの不可能性というか「物語がない」ことを感じてならない。だらだらと続く「日常」のような、それでいてなんといえばいいのかわからない「モノ」をペラペラ書き連ねる、つまり「このブログ」みたいなものを書いている。では、それをめくっているオレって何よ?・・・・

で、ジャズを聴こうと思い立つ。コルトレーンにもマイルスにも「物語」が在る・・・?

 ※9月19日新納や渡辺哲氏の事務所の今井誠一氏が51歳の若さで急逝されたとのこと謹んでお悔やみ申し上げます。若い!

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今日は12時から稽古。ノンストップで7時間。基本的に、よりシンプルに役者が「いま」を立ち上げる為の稽古。

とりあえず、全体をあたる。とりわけ、黒子とマユ姉ちゃんのシーンをよりスタイリッシュにするように・・・・・。

A・Bチーム3時間半ずつ。

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7時に稽古場を後にして、足早に西新宿にむかう。

6時から日本演出者協会の国際演劇交流セミナーの「韓国特集」盛況である、小教室に満員の客、良かった。西堂さんや津川さんら旧知の韓国演劇関係者が・・・・。

  「日本の戯曲を演出した韓国若手演出家たち」の特集 ソン・ソノさんとチョン・フンさんのレクチャーと作品ビデオ紹介と討論。

ソン・ソノさんは松田正隆の『海の日傘』、別役実『諸国を遍歴する二人の騎士』の演出で各賞を受賞。チョン・フンさんは『ガラスの仮面』『つかこうへい』作品など。

二人とも別に日本戯曲というよりコンテンポラリーとして日本の戯曲をやっているとの事。映画『オールド・ボーイ』と同じ・・・・・。

劇団四季の韓国進出事件について最後に一寸・・・・・。

ソン・ソノさんは早稲田に留学しているので日本語がしゃべれる。わたしの19991年ソウルでの『流山児マクベス』を見ている90年代に芝居を始めている演劇人。

レクチャーが終わって交流会。花伝舎の三階ではNIDAのワークショップもやっている。大盛況。いいことである。

 

もうシェイククスピアはやらないんですかと?とソノさんにきかれて、いまはじじいとかオバサンでやっているよ!と答える。楽塾やコレからやりたいパラダイス一座のレパートリー?のこと。うん、シェイクスピアは高齢者演劇にはピッタリ!

で、マッコリを呑む津川さんに向こうを張って黒白波を5杯!酩酊ぎみで新宿駅までふらふら・・・・。

●●

終電近くに帰宅。

「物語」というヤツを追い続けるオレ=オレタチ・・・・・これだ、このために日々苦しみ、日々楽しんでいるんだな・・・。

「物語」が終わったというのはあまりにもたやすい、きついがここから、ここであがくしかない!この足掻きのなかで私たちは「他者」と出会う。

とほとんど支離滅裂の酩酊船ノートである。

それから、私の最近の「マイ・ブーム」はサントリー黒ウーロン茶とトマトとブルーベリー・ワイン。

稽古場の冷蔵庫にもうちの冷蔵庫にも。

というわけで、差し入れはヘルシア緑茶から黒ウーロンというわけです。ヨロシク。

「いまある」ことへの苛立ち。

最近、年とったせいか、青臭い(演劇)青年だった頃にもどったように、様々な「いまある」ことへの苛立ちを覚えてならない。

昨今のメディアと大衆によって作り出されているナショナリズムもそうだし、言論思想統制をおもわせる戦前と同じ風潮。安倍政権誕生で教育基本法改正、憲法改正という悪夢の平成「戦争準備体制」へと突っ走る!というのか。

翻って、何よりもダメなわが演劇業界もまた、「触らぬ神に祟なし」で、毒にも薬にもならないテレビドラマにそのまま転換可能の「批評精神」を喪失した商品=芝居ばかり。そこには「いまある世界」に対する嫌悪や批判はほとんどない。

こんなふうじゃ、「いまある」芝居はいつでも戦前の大政翼賛的芝居OK!になっちゃうようで気持ち悪い!ったらありゃしねえ。多分、今度は先の大戦中のような慰問演劇といったものにはならないかもしれないが芸能は国策協力メディアの尖兵となる?

 

こんな風に書くのは、わが国には本来あるべき、きちんと自立した「批評家」がいつまでも存在せず、実験性や、舞台芸術が持つ先駆性、前衛性、反社会性をきちんと評価する体制がない!という根本的な貧しさである。

舞台芸術が文学、美学、哲学といった芸術ジャンルと切り結ぶことなく、ただ娯楽という「商品」として生産=消費され「時代」とともに消えていく。

そして、そのサイクルを「批評家」という名の「宣伝屋」がお先棒を担ぐという構図。批評家は舞台芸術家とともに、この消費体制そのものと戦え!ってもんだ。「いまあること」への怒りの戦線の組織化?

 

一体俺、何書いてるんだ?かなりの勢いで酔っているな・・・・・。メチャクチャじゃん、論旨もヘッタクレもナイじゃん。いかん、飲みすぎだっつーの!


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昨夜に続いて今日も朝からビデオ審査2本。これで残り4本。

稽古場で前半の「通し」。7時半過ぎに早めに稽古を取る。久しぶりの500円(宴)会。遅くまで。私はゆっくりほろ酔いカゲンで歩いて帰宅。


稽古場日誌に別に俺はブログでダメダシなんかしていない。役を作るための様々な試み。


それもなるべく大胆不敵にやろうぜ!って激を私は発しているのだ。
台本も演出もしょせんテキストでしかない!

役者という圧倒的な「批評家」を私は育てたいのだ。

テラヤマのテキストはそうするにはピッタリのもの。


●●

今夜のビデオ。『アリゾナ・ドリーム』(エミール・クストリッツア監督作品 ジョニーデップ主演1992年)『アンダー・グラウンド』『ライフ・イズ・ミラクル』の巨匠のメチャクチャ映画。ビンセント・ギャロはまるでタランティーノだな。


で、ジェリー・ルイスでフェイ・ダナウエイ?役者の豪華さにまず驚く。

でもって、自由奔放な映像表現。魚が空飛んでるぜ・・・・。

これだな、多分。

俺も例えば、こんな表現を目指せば・・・・・・?ウン。

今日も「酩酊船ノート」である。

 

深夜3時近くビデオの返却。
きれいな満月である。部分皆既月食?ていつだったけ?

それで、(といっても何のことかわからないかもしれないが)、今日も11時起床。いつもの日常・・・・・。

時々思うのだが、暑くてたまらなくて、エアコンつけたいなあ!と思いながら我慢するテメエは、何処から来ているのかなあ?とおもったら死んだおふくろからだった・・・・・。

彼女は、エアコンがあるにも拘らず、自分の意思では一度も使った事が無かった・・・・。扇風機さえもタイマーで使っていたっけ。

これはケチでそうしているのではない!人間の体が人間らしく実感するためにはこれでいい!と思っていたからだ。

でも、本当はそれではダメらしい、そんなことしていると熱中症になりますよと、最近劇団員がいっている。

●●

で、今日は楽塾の音決め、のため様々な音楽を聴く。

CD20枚近く、この中から2幕の劇中の音を決める!といいながらやっぱり、あと2日はかかりそう

 

で、今夜は森下行き。

TPTの新作『血の結婚』(ガルシア・ロルカ作 アリ・エデルソン演出)、中村音子が出演しいるので・・・・。

桟敷童子の桃子や久しぶりのパク・ソヒも出ているが大半が若い、いわゆるミュージカル出の俳優たちの、歌はあるが踊りなしの、音楽劇風ストレートプレイそれもコンテンポラリードラマの「若手発表会」といった風情の芝居。

G・ロルカのエロティックで破滅的な劇詩というべき作品が、カルーイ・アツイ情熱青春モノになっていてこれじゃ、笑うか、寝るしかなかった(でも私は寝たりはしなかった)疾走感と切迫感足りず。

が、見ていて、TPTは今最も「無名」な役者志望の若者たちのアモルフなエネルギーを集約できる良心的なカンパニーだなと妙に感心。

いわゆる、昔風に言えば「劇団」の若手公演!をきちんとやっている!

これってホントは凄いことなんだ。

ちょっと入場料が高いが,こんなプロデュース・カンパニー?はいま東京に無い!門井さんたちは偉い。

「人材育成事業」の真の意味を誰も分ってないこの時代にオレタチの仕事ってなんだ?とイライラする昨今である。

 

というわけで(何が)?学生時代に読んだ岩波文庫の『血の婚礼』を今夜読み直したい、と思った1時間40分であった。

それにしてもアコースティックな音楽が実に「健康的」!

ピアソラじゃないがタンゴだったらセクシャルで不健康でクドイ・ルフランになるんじゃないの?と私は思うんだけど、これって俺の趣味?

中村音子さんは真面目(ゴメン)でいいんだが、もっと崩れて「パンクしていい」と思うよ。

でもこの芝居では相手が「観客だけ」というやり方だからしんどいだろうなあ・・・・・・・。そのうち又一緒にやろうぜ・・・・。

●●

9時30分紀伊国屋ホール前で、村井健さんと待ちあわせ。

サンクトペテルブルグ演劇大学のセルゲイ教授と新宿で飲もう(本来のシンポジウム)ということに。

次期新国立劇場の芸術監督の鵜山仁さんも一緒、ということでベニサンの瀬戸さんとも呑まずに森下から直行。

 

「お多幸」でおでんや刺身食べながら、なんとなく、出稼ぎ(失礼?)ロシア演劇屋さん(失礼!)と交流。

いやはや、このスタニスラフスキーおじさん真面目すぎて、冗談が通じない、というのは嘘!しゃべってみたら、実におかしなやろうで面白かった。

22日セルゲイさんが養成している演出家たちの『かもめ』是非見たいモノである。西新宿の芸能花伝舎です。

教育がほんとに必要なのはこういった「演劇の先生たち」じゃねえかと思う昨今である、ウン。

それにしても、今日見たのがこまつ座、井上ひさし氏の『紙屋町さくらホテル』!!お疲れ様でした。

「商業演劇ですね」という指摘、ある意味あたっているし、「すべてわかる芝居ですね」というのもあたってる。

ここに「日本演劇の貧しさ」があるのだ!!を見事に当てていらっしゃる、あんたは偉い!「わかればいい」ってモノじゃないだろう芝居は!

全ては想像力である。

「お多幸」を、看板の12時前に追い出される。

結局、鵜山さんは来れなかった。

『紙屋町さくらホテル』の演出家は鵜山さんなんだから今度会ったらセルゲイさん直接聞いたほうがいいですよ。

見るとちゃんと、佐々木君と今日も3時間でボトル1本あけていた。やばいなあ、これで3日間連荘で呑みすぎ!である。

明日こそ、大正漢方胃腸薬買わなくちゃ・・・・・・。

 

西武新宿駅に向かう、歌舞伎町の凄い人出、で様々な顔の色をした人々の群れを抜けて・・・・。

最終近くの電車に乗って帰宅。それにしても暑い!ついついエアコンのスイッチをつけてしまった。

 

ということで、「3日続けて」の酩酊舟ノートである。

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いよいよ、明日は『狂人教育』早稲田稽古。

今,午前3時45分NHKの「ラジオ深夜便」というやつ(これ1年に何回か聞くが面白い)を聞きながらこの日記を書き始めている。

さっき、新宿で天野天街と別れたばかりである。

今日は朝から忙しい日であった。

お昼前に、ロマン・ポランスキー監督の最新作DVD『オリバー・ツイスト

面白い。

なんとなく『戦場のピクニック』のあとに,少年を主人公にした寓話とでも呼ぶべき、これを撮りたいというのはわかる。ポランスキーてやっぱりヘンタイだな。

世界のアラーキーこと荒木経惟氏に『オールドバンチ』のポスター用写真の撮影を頼み込み、了承を得る。

大感謝。

制作に連絡し、9月2日六本木のスタジオ撮影決定。

どんどん超豪華スタッフ陣が協力してくれる、おいおい、元さん台本早く頼むぜ!

そして、来年の秋に予定している観世榮夫さんと一緒に作るベニサン歌舞伎の依頼をしている大物歌舞伎役者?のマネージャーと電話打ち合わせ。9月初めに会う事を決める。御期待下さい。

で、下北沢へ。

少年王者舘の新作『I KILL イキル』(作・演出天野天街)をみる為。

いわゆるストーリーは無い。ある種イメージの劇?というかアマノ・ワールドの全面展開。

面白い、トップシーンで全てを言っているので、あとは別に何度繰り返そうと本当はどうでもいい。男達が実に意味の無い体力芝居をやるシーンが面白かった。

小林夢二という元プロジェクト・ナビの小林正和の息子の芝居を見ていると、父親と母親の顔が浮かんできて名古屋の演劇人と35年以上付き合ってきたテメエがまるで息子の成長を見て喜んでいる事に愕然。

それにしても夢二はまさに「夢二の少年」というイメージ。

そういえば、25年前のアマノに似ているぜ・・・・。

元気であと3日間がんばってくだされ。

劇団のサポーターでもあり、私の演劇塾の教え子でもある(といっても5歳年上)村田さんと「いわし屋」で呑む。

その後、例によって「ふるさと」へ合流。

イープラスの安藤さん、「野鳩」の水谷君らと飲む。劇団の阿川竜一、阪本アツシといった連中も。あれ、スエヒロケイスケもいやがった・・・・・元気そう。

水谷君や「ひょっとこ乱舞」の広田君や「ミルクホール」の佐野君といった若い演出家たちと再来年当り面白い企画をやりたいものだ、イープラスものって下さいよ、安藤さん宜しく。

それとこのブログで「今日の流山児的映像」ってヤツ、やりたいんだけど・・・・宜しく、お願いします。

で、何故か?!これまた恒例で、アマノと2人で新宿で3時過ぎまで呑み馬鹿話。

再来年3月のごまのはえの新作の演出のことや、必ず書くと宣言している『アンダーグラウンド・ホテル』(ケラリーノ・サンドロヴィッチ演出予定)のはなしなど。

で、最後は維新派の雄吉さんの「芸術家宣言!」の話しで大盛り上がり。

いつも思うことだがアマノはホントーに「少年」で「王者」であるなあ、と妙に納得する。

宇宙語のごとき「身体言語」を発するこの「王者」見ていて飽きない、もう25年以上の付き合いだが・・・・・。

こういうヤツはそんなに居ないなあ。アマノは一生「少年」なんだろうなあ?

という訳で(何が?)『オリバー・ツイスト』からアマノまで、今日は何故か「少年」について考えた1日であった?

 

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が、来年1月『鼠小僧次郎吉』での、夕沈と私のWキャスト上演の面白さについて!考えるだに面白い!!

夕沈という「天才」と私のような「天災」が出会い、わけくチャ分らん芝居作ったら・・・・・オモロー、嬉しい限り。

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と、酩酊舟のなかでこの原稿を書いている。

今日は多分一人で焼酎のボトル2本近く開けたな・・・・・ああアタマクラクラ、。ダメじゃん。

おやすみなさい。で現在、4時15分である。

朝早く起きて『狂人教育』の演出用の資料の点検。三チームどうするか?

お昼前に演出者協会の和田事務局長よりTEL。

今日18時から世田谷パブリックシアターのセミナールームで「演劇教育について」のシンポジュウムありの情報。

ロシアのサンクト・ペテルブルグ演劇大学の副学長セルゲイ・D・チェルカスキ教授をかこんで、永井愛氏、栗山民也氏に加えて評論家の村井健氏の司会のトーク。

7月から演出者協会の企画でロシア演劇のいわゆる「スタニラフスキー・システム」についての大企画。

忙しさにかまけてまったくいってなかった、申し訳ない。

文化庁の優秀指導者特別招聘というヤツ。

夕方、馬場の喫茶店で『オールドバンチ』の打ち合わせ、山元清多氏と。

銀行強盗の話しなんだが、その中にジジイたちの怒りを如何に盛り込むかの打ち合わせ。

ついつい話しは脱線し、若し大政翼賛会的状況になったらどうするか?のはなしに・・・・・金子光晴的な生き方が果たして俺に出来るか?ということに・・・・・。

で、三好十郎の戯曲を一回やれ!元兄イにといわれ、三軒茶屋へ。

『オールドバンチ』のポスター写真、アラーキーの撮影決定!!乞う御期待!

「演劇団」以来久しぶりのタッグだ。よろしくお願いいたします。

18時から3時間以上、日本の演劇教育というより俳優教育についてのシンポ。

聞いているとスタニスラフスキーシステムなんてモノは「俳優の自立」についていってるだけ。俳優は創造主体でなければならない!なんて当たり前じゃん。

セルゲイさんはまさに優秀指導者であることに敬意を払いながら、いままである種イデオロギー的に理解していたスタニスラフスキー・システムなるモノがじつに単純に理解でき笑ってしまった。

さらに、聞いていてロシアや西洋演劇のある種の「貧しさ」=言葉を軸とした現代演劇ってヤツを後生大事にして日本の近代=現代演劇は生きてきたんだなあ?というのが感想。

それもいわゆるインテリと言うヤツに牛耳られて・・・・・。

<提案された状況の中で「核心」を探す>、とか<集中・分析・再現>とかいう当たり前に「他者」とドラマを作る根本を、えらそうにメソッドとかシステムとかいう元祖・本家争いの話に聞こえるのは私のひねくれ根性?

さいごに、私は「アジアの演劇の豊かさ」と日本演劇の持つ多様性と、アジア演劇が本来持つ「異文化交流性」をしゃべった。

それから、職業としての「俳優の自立」の根拠としてのスタ・シスよりスタッフも出来る総合芸術としての「貧しき舞台芸術家」=体を張った役者をこそ目指すべきだと!一気にしゃべる。

永井さん、栗山さんらと三軒茶屋で呑む。

オキナワで栗山さんは仕事しているらしく、楽しそうに沖縄の演劇人との仕事について語った。

永井さんと久しぶりにゆっくり芝居について話す。

私のブログをみているらしく、今日も15年住んでいる、我が6畳1間のボロ・アパートの「アスベストの天井」のその後、を心配してくれていた・・・・・・。

「その後」ペンキ塗っただけでーす。ひょっとして私が肺気腫になったら「アスベスト被害」で・・・・・・・。

今日は、久しぶりにガキの頃の演劇青年に戻って「スタニスラフスキー・システム」?について考えた1日であった。

結局12時過ぎまで痛飲、タクシーで事務局の佐々木君と同乗し帰宅、佐々木君は江戸川橋。

そういえば、エクササイズ、シーンスタディ、散文でシーンを作る、ルコック・システム、メソード演技、とイロイロやってるなあ・・・・・。

「水はただ、飲めばいい、タバコはただ、吸えばいい!」と言ったのはジェームス・ディーンだっけ?

演技、俳優教育ねえ?

歌舞伎台本もまた現代演劇のテキストである。

無数に「街」の中にえんげきの源泉は転がっているのだ。「なに」を「いかに」使うかだ。