流山児祥オフィシャルブログ『祥 MUST GO ON!』

公演情報
楽塾創立20周年記念公演
『すももももももモモのうち』


【作】佃典彦
【演出】流山児祥
【出演】
〈楽塾〉
いそちゆき 河内千春 川本かず子 桐原三枝 阪口美由紀 佐野眞一 関口有子 高野あっこ 辻洋子 内藤美津枝 二階堂まり 西川みち子 平山郁子 みかわななえ 村田泉 めぐろあや
〈流山児★事務所〉
流山児祥 柏倉太郎 山下直哉 森諒介 星美咲 橋口佳奈 竹本優希

【日程】
2017年5月3日(水・祝)〜6日(土)

【会場】座・高円寺2(東京都)

【チケット】
指定席(一般) 3,500円ほか
3月3日(金)より発売

【お問合わせ】
流山児★事務所
TEL:03-5272-1785(平日13時〜17時)
E-MAIL:mail@ryuzanji.com


だいこん・珍奇なゴドー
だいこん・珍奇なゴドー



【作】戌井昭人
【演出】流山児祥
【音楽】栗木健
【振付】北村真実
【出演】
塩野谷正幸、佃典彦、伊藤弘子、月船さらら、山崎薫、栗原茂、谷宗和、大久保鷹、土井通肇
佐藤華子、里美和彦、冨澤力、柏倉太郎、平野直美、星美咲、橋口佳奈
演奏/栗木健、諏訪創

【日程】
2017年3月15日(水)〜22日(水)

【会場】ザ・スズナリ(東京都)

【チケット】
指定席(一般) 4,000円

公演詳細はこちら
流山児★事務所
2017年度新人募集
《二次募集》
劇団で活動することに興味がある人を募集します。

【募集人員】
6名 (俳優・スタッフ・制作)
18歳以上35歳未満。
国籍不問。心身ともに健康な男女

【第一次審査:書類選考】
以下を流山児★事務所まで郵送してください。
(1)履歴書(連絡のつく電話番号とメールアドレスを記載のこと)
(2)写真1点(バストアップ)
(3)作文「流山児★事務所に入団してやりたいこと」(400字程度)
応募〆切:2017年4月5日(水)必着

【第二次審査:実技・面接】
書類選考通過者のみ、連絡いたします。
審査日:2017年4月8日(土)午前
※実技審査料3,000円は当日持参のこと。
※スタッフ・制作は面接のみ(無料)です。

【入団後の活動】
流山児★事務所の活動に準じていただきます。
優秀な新人は劇団公演、海外公演などに参加できます。

【入団後の費用】
(1)入団金:50,000円
(2)研修費+稽古場維持費:月額10,000円(月納)
※入団1年後には稽古場維持費:月額5,000円のみとなります。

【お問合せ・応募先】
流山児★事務所 新人募集係
〒162-0045 東京都新宿区馬場下町60番地 まんしょん早稲田307
TEL:03-5272-1785(平日13時〜17時)
E-MAIL:mail@ryuzanji.com
CD/DVDを買う
続オールド・バンチ〜復讐のヒットパレード!〜 DVD

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12月下北沢ザ・スズナリ公演絶賛前売り中!!

『田園に死す』

作:寺山修司 音楽:J・A・シィザー 
脚本・演出・構成:天野天街(少年王者舘)
芸術監督・出演:流山児祥


出演:大内厚雄(演劇集団キャラメルボックス)
伊藤弘子・小川輝晃・さとうこうじ・深山洋貴(Studio Life)

栗原茂・木内尚・上田和弘・坂井香奈美・小林七緒・木暮拓矢

沖田乱・蒲公仁(ガマ発動期)・眞藤ヒロシ・中田春介・冨澤力
平野直美・武田智弘・藤村一成・鈴木麻理・山下直哉・荒木理恵

ほかオーディションメンバーを加えて総勢38人出演決定!!


2009年12月10日(木)〜23日(水) 下北沢ザ・スズナリ03−3469−0511

前売:4000円 当日:4500円 学生:3000円(日時指定自由席:整理番号付き)※本公演は開場/開演となりますので5分前に整理番号順に並んでもらいます。)



          【前売り予約情報】


         【オンラインチケット】
        http://www.ryuzanji.com

          

         【電話&FAX予約】
   TEL03−5272−1785 FAX03−3205−9170(流山児★事務所)

   03−3469−0511(下北沢スズナリ)

*電話予約・FAX予約のお客様はご予約の後、1週間以内に
以下に【チケット代金+送付手数料100円】のご入金をお願いします。
郵便振替 00120−8−93820 流山児事務所(通信欄に観劇日、枚数をご記入ください。)
あるいは、ゆうちょ銀行 〇一九店 当座 0093820


※※

ポスト・ドラマ演劇の旗手:天野天街が、寺山修司の名作映画『田園に死す』を自ら脚色・演出し「舞台化」に挑む話題作。

音楽はテラヤマ演劇の衣鉢を継ぐ、J・A・シィザーという夢の初顔合わせが実現。

夢幻の映像美と呪術的ロックが錯綜し「詩と死と私」の幻想世界が現出し、加えて宇宙の果てまで攪拌する夕沈:振付の幾何学ダンス。

テラヤマ+アマノ+シィザーワールドをリューザンジが世界に発信する!!この問題作を見逃すな!!
『狂人教育』アジアツアーが今日から始まる。午後4時成田集合7時出発。香港・杭州・上海のアジアツアーである、元気に行ってきます。10月3日には帰って来ます、オモシロイこと満載の旅になるだろう。というわけこの日記もお休みの予定?です。皆さんもお元気で!!
※※

『狂人教育』中国三都市ツアー 

9月19日(金)〜21日(日)香港 前進進牛棚劇場
9月25日(木)・26日(金)杭州 紅星大劇院
9月30日(火)〜10月2日(水)上海 上海大劇院
いつものように粛々と稽古、ゲネプロ。

FM情宣、やることはきちんと。
ほぼ「満員」の客席を見て安心する。なかなか良い芝居になっている。急遽、清水くんとアフタートーク。

※※

国内最後の公演、是非お見逃しなく、琴似で待ってます!

※※

ほぼ「満員」のコンカリーニョ、国内最終公演。
ほぼ完璧に出来上がった!あとは香港・杭州・上海のお客さんにどう、見られるかだ。

すがのくん劇団の人たちがバラシを手伝ってくれる。すがの公という若手演出家面白い。

近所の「ふる里」で打ち上げ。

ほぼ全員が夜遅くまで痛飲。お世話になりっぱなしの美栄結局札幌出発まで付き合うことに、お疲れ様、また会おうぜ!

※※

15日(月)朝6時ロビー集合。7時45分発の飛行機で羽田へ。

お昼2時六本木俳優座、こんにゃく座、林光さんに会うため。パラダイス一座の音楽を頼みこむ。

夜7時早稲田大学学生会館。北京蝶々の『デーモンズ』の通し稽古を見る。良く出来ている、音楽とりあえずの部分を渡す、宿題である。役者分裂するだろうな?

夜10時馬場ルノアールで黒テント、坂口瑞穂と打ち合わせ。出来上がった『ドブネズミたちの眠り』のキャスティングと直し。

結局朝2時まで。

超過密スケジュール!!
さて、13日(土)快晴。
久しぶりに朝食、トーストとウインナー、トマトジュース&珈琲。

新聞をゆったりと読む。

昨夜は9時前にみっちりとやった場当たりがうまくいったので、今日はいつものようにウォーミングアップと歌・踊り1時間半で1時からゲネプロ予定。

3時からFM出演、情宣。まだやれることはやります。

『狂人教育』進化中!かなりの勢いでこのイキモノ変わってきて面白い限りである。是非多くの皆さんに見てもらいたいものである。

※※



ぜひ、お友達ご家族お誘いあわせの上ご来場下さい。待ってます!!

12日(金)朝、琴似コンカリーニョ入り。
曇り空、気温も寒いぐらい。琴似駅前のコンカリーニョ、生活支援型施設と言う名の劇場。実に良く出来ている小劇場。客席も150人足らず。

で、劇場入りして「あまり前売が出ていない」ことを知らされる。いや、困った、困った。

昨日11日夜、大きく北海道新聞の夕刊に絶賛の「劇評」が掲載されているにもかかわらずなぜかコンカリーニョの電話番号が載っていない。

記事を読んで見に行こうにも、まだ劇場の認知度がイマイチなのでそんなに「反応」が無いらしい。

仙台も公演前々日までイマイチ前売は出てなかったが公演前日には急に「完売」となった。そして連日の「キャンセル待ち」の満員御礼であった。札幌もそうなるといいが・・・・。

まあ、私たちは芝居に全力を尽くすだけである。でも、ポスター街貼りやFM出演やら出来ることはやる!それは毎度のことか・・・。思えばカナダでは一ヶ月毎日チンドン屋と街張りの日々であった。

なお、香港公演はすでに2ステージ「前売爆満」=「前売完売」です。


7日(日)お昼過ぎから早稲田で楽塾12月発表会の『十二夜』のキャスティングを終え夜6時過ぎに新幹線に飛び乗り仙台へ向かう。
この日は搬入のみ。

仙台公演に使う白鳥ビルホールは元民謡教室の発表会をやっていた場所で定禅寺通りに面した繁華街にある古いビルの8階。搬入エレベーターは一つ。長い材料は全て階段で・・・みんなヘロへロに。

仙台演劇人の溜まり場「あべひげ」が地下にある。いつものように飲み会。

8日(月)仕込み、明かりあわせ前半のみ。まったく暗転は効かない。おまけにエアコンはなしで汗だくとなる。窓を開けっ放しだから大音響が外に!チケットはあまり売れてないという情報であったが急に予約殺到。前売り完売となる。真美先生もやってきてキッチリ場当たり。大隈講堂の1000人の大劇場から150人の小劇場に、より緻密に関係を描くしかない!!

9日(火)朝から強行スケジュール。

明かりあわせ後半。
2時過ぎからゲネプロ。

エレベーターが1台のみだから開場時間は40分前。超満員札止め150人を超す人が詰め掛ける。幸先の良いツアーの初日であった。が芝居が少し間伸びしている。明日は稽古と厳命。が凄い評判である。絶賛の声しきり。

10日(水)お昼過ぎから稽古。少し変えてスッキリする。
客の入りが凄い、開場前から凄い人が・・・・超満員、客席を増設し
て対応。昨日以上の反応。まさに「伝説の芝居」となる。「あべひげ」で打ち上げ。朝まで飲んでるやつも。また、近いうちに必ず来ますと約束してお世話になった多くの人たちに感謝してお別れ。

11日(木)10時にホテルをチェックアウト。仙台ループルバスで仙台1時間観光。で、利休で「牛タン定食」のランチを全員で。
仙台空港へ。JALで札幌へ向かう。札幌の地下鉄の駅で元劇団の研究生の美栄にばったり、まさに奇跡的!手伝いに来るとの事!待ってるよ。


夕方札幌のホテルに入る。
さて、明日は朝から仕込み。北海道新聞の夕刊に『狂人教育』の東京公演の劇評が掲載されている。好評。この劇評が客足につながってくれれば良いが。たった1日の休暇となる。

芝居はきっちり進化している。この調子でいきます。

是非、琴似駅コンカリーニョにおいで下さい。面白いです。

アングラ劇の挑戦!!9月13日(土)夜7時14日(日)昼2時の2ステージのみの「最後の日本公演」です!!

※今日は「7年目」の9・11か!あの日、マニラ空港でカイロ公演を終えた『狂人教育』のメンバーとマシンガン持った警官が急に飛行機に入ってきたっけ?外の世界で何事か起こっているな・・・と感じて・・・成田で知ったことを思い出していた。



ついに『狂人教育』日・中ヴァージョンの幕が開きます。

●●
朝から最後の稽古。毎日新聞に大きな記事が載り電話多数。明日はほぼ満員になることが確定。1000人近くヒトが来るかも?2階の客席は想定外なんだけど・・・。

3時半からゲネプロ。出来上がりました『狂人教育』2008ヴァージョン。30分メイクを落とすため休憩してダメだし、稽古7時半まで。

久し振りに8時前に大隈講堂を出る。

10時芸能花伝舎で若手演出家コンクール第1次審査。74本のビデオ審査から15人を選出。2時間半の激論、いつものこと。
今年の審査は関西の棚瀬、土橋、菊川、堀江、今泉さんも加わった,青井、篠崎、森井、瓜生、貝山、七緒、西沢、和田、流山児の14人、今までで最多の布陣。それぞれが30本近くを見ての相対評価。すでに有名な演出家や若手の有名劇団の演出家、老舗の劇団と今年は多彩。が全体的には去年より力が落ちている、とにかく実験性や演劇でしか出来ないこと、若さゆえのメチャクチャさがほとんどない。いやドーなってるの?が素直な実感。

歩いて馬場まで帰宅。自宅近くの焼きとん屋さんでビールと黒ホッピー。

※※

曇り空、さて本日3時より早稲田大学大隈講堂東京特別公演である!
見損なうと次は仙台ですよ。



1965年に大隈講堂で初めて寺山修司を「見た」あと、私は別に寺山修司の演劇とは一度もシンクロせずに私自身の演劇人生を開始していた。

1968年に状況劇場入団、1969年早稲田小劇場に入団。

唐十郎,鈴木忠志の演劇に出会いながら、私自身の演劇を探し1970年4月演劇団という劇団を旗揚げし、劇団活動を過激に精力的に行っていた。

1969年の天井桟敷と状況劇場の乱闘事件の時は、何故か鈴木忠志と劇場の下の喫茶店にいて、「少女仮面」に客演していた吉行和子さんから「唐さんと寺山さんがケンカして渋谷署に連行された」と聞かされたものだ。

1970年冬、都立大学の私のアパートにある日寺山さんから電話が掛かってきた。

最初ギャグだと思ったが、良く聞くと確かにテレビで聞くあの独特の青森なまりである。

渋谷の喫茶店で会いたいとのこと。

当時演劇団と東京キッド・ブラザーズは「新しい地平から来るもの」と呼ばれていた。

又、私たちは当時演劇党派闘争と呼び、「はんらん狂想曲上演粉砕」俳優座突入闘争などという前代未聞の演劇おける内ゲバ闘争を行っていた。

そんな男に,寺山さんは会いたかったのだろう。

待ち合わせた喫茶店に寺山さんは女物の毛皮を肩に引っ掛けて現れた。

イヤに背が高いと思ったら「例の寺山サンダル」を履いていた。

「君は演劇で革命が出来ると本気で思っているのか?」と単刀直入に聞かれ、わたしは一瞬ぎくっとした。

「出来ると思います、革命が命を改(革)めるというものなら演劇にはその端緒となるがあると思います」。

が、寺山さんの言う「革命の演劇より演劇そのもを革命しなきゃだめだと思うよ」に妙に納得した思い出がある。

1時間近くしゃべったと思う。

最後に「君は結婚してるの?」と聞かれた。

当時私は早稲田小劇場の研究生だった女性と結婚したばかりだった。

寺山さんは「僕は離婚したんだよ」とボソッとしゃべり別れた。

この出会いから1983年まで年に何回か会うことになる。

寺山サン達が発行していた「地下演劇」という雑誌のシンポジウム。

渋谷の天井桟敷館で私自身のソロコンサートもやったし、天井桟敷から私の劇団に入ってくる新人がいたり・・・。

劇作家で編集者の高取英という「生涯の友」と出会ったのも寺山さんの引力である。

とりわけ、1979年演劇団解散の時、落ち込んでいた私は寺山さんに会うことでもう一度「集団」を目ざす事を決めた。

「流山児祥はこれから重賞レースを目ざす=世界へ行け!」という解散の時のコメントは忘れられない。

あ、それから今でも誤解されて伝えられている1972年の渋谷公会堂での『邪宗門』乱闘事件には私たちは一切関係ない。

『邪宗門』は劇を作る人間と劇を壊す人間の対立を描いた「中断のドラマ」である。乱闘の「劇」に参加したのは当時の演劇集団・日本のメンバーである。

天井桟敷はこのあと「市街劇」へと向かう。

そして、1978年『奴婢訓』から『レミング』まで後期寺山演劇の最高傑作が生まれる。

私は高取英、映画監督の高橋伴明の三人組で天井桟敷のアメリカ・ツアーにあわせて1ヶ月のアメリカ遊学を行った。

ピーターブルックの芝居をラ・ママで見ていてつまらないから、セットの石を舞台に投げ込もうとしたら、寺山さんに「流山児やめろ!」と止められたり、『スウィ二ー・トッド』を二人で絶賛したり。

ニューヨークでゆっくり寺山さんとしゃべり、「新作」を依頼した。

快諾してくれたが、そのときはもう病魔が寺山さんの体を蝕んでいた。

 

※※※

昨日の亀田、どう見てもやっぱり「負け」だね。

もう一回やるしかない!!

※※

『狂人教育』8月6日前売開始です。

※今夜のDVD

『ライフ イズ ミラクル』名作!!

『アンダーグラウンド』の巨匠エミール・クストリッツァ製作・監督・脚本・音楽 天才っているもんだな。

で、犬も猫も、ロバも名優だぜ、戦争も愛も全て「音楽」にのって。

頭のタイトルが流れている5分間で映画の持つ全ての魅力でゆるぎなく154分間。

怒涛の映像で見せ付ける。いやはや、凄い!!

セルビア=モンテネグロ フランス合作。

1992年ボスニア紛争の悲惨さを描く。

 

シアターガイドの伊藤社長そっくりの郵便配達のおじさんが抜群にいい。

 地下鉄の 鉄骨にも 一本の電柱にも

 ながれている血がある 

 そこでは 血は 立ったまま眠っている

 窓のない素人下宿の 

 吐寫物で洗った小さな洗面器よ

 アフリカの夢よ わびしい心が

 汽笛を鳴らすとき

 おれはいったい どの土地を うたえばいい

舞台中央に公衆便所。倉庫人の張の歌うこのブルースで幕が開く、実にセンセーショナルな1960年劇団四季に書き下ろした寺山修司の処女戯曲が浅利慶太の演出で上演された。

60年安保闘争という状況の中で24歳の歌人は2歳年上の演出家と組んで日本演劇界に問題作をたたきつけたのだ。

今読み直してみても充分面白い戯曲である。

とりわけ後半全てのストーリーが崩壊したり、素明かりによる虚構の異化や台本への様々なコラージュなど・・・・・。

1965年の記憶をたどると、大隈講堂に本物?!の鼠が百匹ぐらい走り抜け、朝鮮楽団?というサングラスに黒の背広の生バンドがジャズを演奏していた?

劇場のロビーで寺山さんと多分横尾忠則さんがいたような?

私は悪源太義平と一緒に見に行ったのだが、ナンじゃこりゃ?モダニズムじゃんと嘯いていたものだ。

カッコイイがどうもロマンチックすぎて・・・というのが当時の感想。

19歳のヒッピー気取っていた俺っちにはフンて感じだったのだろう。

が、その後読み直し、2000年4月渋谷ジァン・ジァンのファイナル公演で解体中の廃墟の劇場で西洋便器一つのセットでこの戯曲を上演してみて、このテキストはまさに「テロルの演劇」の原点である事を認識した。

宇崎竜童のブルースを若杉宏二が渋ーくうたったものだぜ。

今思うとアスベストの粉まみれの中の4日間6ステージ2500人を超える文字通りの超満員の客を詰め込んで「渋谷ジァン・ジァン」という歴史ある劇場の「死に水」を私達がおこがましくもとったのである・・・・・。

それにしても「革命と暴力を煽動する劇」で寺山と浅利が揺さぶろうとした1960年のニッポン演劇界で2人は実にカッコいい演劇革命家だったんだろうな!

あれから46年、寺山修司は彼岸に逝き、浅利氏は功なり遂げた今、再びの「新劇運動」を宣言して「自由劇場」を作ったが・・・・・・?

私は同じ1960年に寺山シナリオで篠田正浩監督で映画化された『乾いた湖」の方が面白いと1965年当時は思っていた。

全学連を脱退し、一人で爆弾闘争を試みるテロリスト。「血は立ったまま」の主人公灰男と同じだなのに何故か・・・・・・。

若手演出家コンクールビデオ審査。

2回目10本。

あと10本、いい作品にめぐり合いたいものだ。

審査を終え、久しぶりに夜の街に出る。池袋の映画館にふらりと入りジョニー・デップ主演の『パイレーツ・オブ・カリビアン〜デッドマン・チェスト』を見る。

前作も見ているので笑いたくてはいる。今回もくだらねえ、子供だましのディズニー映画いやはや手に汗握って子供のように笑った。

映画館は満員。

ジャック・スパロウが蛸のお化けに食われて終わり、でもって、ラストに前作で死んだキャプテン・バルボッサが出てきて「続く」には予想通りで爆笑。

それにしてもキーラ・ナイトウエイは美しい。

キース・リチャードを気取るジョ二ー・デップは馬鹿というか何というか絶好調である。

登場人物が全員お馬鹿で実にいい!!

ああ、ほんとに「何も」考えなかったぜ・・・・。

40年前、私は寺山修司が好きではなかった、どちらかというと「嫌い」だった。

私より12歳年上のいわゆる「アニキ」たちの世代の代表であり、1960年代「家出」をすすめる教祖として私たちの前に登場し、政治とエロスのアナキズムの扇動者、若者たちの「神」であった寺山修司。

「家出のすすめ」が出版された時、私は中学生であった。

1週間だけの家出をやったが、別に寺山の本を読んだからではなかった。

「反逆と自立」の精神は小学生時代の1960年に三池闘争が教えてくれたし、私自身15歳までほとんど父親と一緒に生活していなかったら・・・・・・。

1962年上京。

私にとって「神」は映画であった。

映画少年の私にとってトリフォー、ゴダール、ペキンパー、大島、深作、そしてクレージーキャッツ、ビートルズが「反逆と自立のすすめ」を教えてくれたのだ。

で、もって唐十郎の紅テントとの運命的な出会い。

今、考えると寺山修司さんと唯一共通するのは「マザコン」ということだな・・・・・。

そんなわたしが、寺山作品を上演することになったのは1983年。

寺山さんの遺作『新・邪宗門』を演出してからのこと。

「寺山修司の最後の作品」は流山児★事務所の前身、「演劇団」の公演だった。

このとき私はある人に「寺山修司を殺した男」と呼ばれた。

肝硬変という病を押して寺山さんは『新・邪宗門』の半分を書き上げのだ。

以降、毎年のようにテラヤマ作品を上演している。

俺のリクエストで鄭義信が流山児★事務所に書き下ろした『ザ・寺山』は第38回岸田戯曲賞を受賞した。

私はこの芝居で寺山を演じた。このときから寺山世界を自分なりに「批評」=距離感を探すべく旅を始め・・・・今に至っている・・・のだ。

私は寺山さんが死んでから本当の意味での「寺山体験」をしている。死後23年経った今も尚、生き続けている「テラヤマシュウジ」。恐るべし。

私が演出した寺山作品は以下13作品。

『血は立ったまま眠っている』『毛皮のマリー』『狂人教育』 『花札伝綺』 『星の王子さま』『伯爵令嬢小鷹狩鞠子の七つの大罪』『アダムとイブ、私の犯罪学』『さらば映画よ〜ファン篇〜』『青ひげ公の城』 『書を捨てよ、町へ出よう〜市外劇:新宿篇』 『書を捨てよ、町へ出よう〜花札伝綺〜市街劇:下北沢篇』『無頼漢』

『狂人教育』の稽古に入るまでの1週間、私と寺山さんとの出会いについて5~6回ぐらいに分けてつづってみようと思っている。

私が始めて寺山修司に「出会った」というより、その姿を「見た」のは40年以上前、1965年青山学院大学の1年生の時である。

早稲田大学大隈講堂で上演された東由多加演出による劇団なかまの公演『血は立ったまま眠っている』であった。

<つづく>

 

※15人に1人が「うつ病」というニッポンの現在をテラヤマさんならどう書くのかな?

※イスラエルによるメチャクチャで理不尽なレバノン侵攻、10年前と同じようなカナ空爆。日々虐殺される子供達。こう書いているときにも虐殺は続いている!今すぐ虐殺を止めさせる為に安保理決議を急ぐべきだ。